仮面ライダー 神楽
【仮面ライダー 神楽】
【第十三話】

登場人物(今回出演者のみ)

《前回までのあらすじ》

 ――白昼のカフェでの切り合い事件、そして地下カジノでの殺人剣戟ショー。
 それら一連の黒幕である芝浦は、事件との関連を神楽らに嗅ぎつけられたのを契機に、所属する
明林大学ゲームクラブ『MATRIX』を隠れ蓑に進めていた洗脳実験プロジェクトの破棄を決意。
さらにウサ晴らしと証拠隠滅の為、悪徳刑事である須藤に部員及び神楽たちの始末を依頼した。
 一方、悪友・明美らを裏切ってカジノの件をOREジャーナルに密告した浩子は、滝野智に言葉
巧みに丸め込まれ、彼女をカジノのある工学部・廃校舎へと案内するハメに。
 だがその裏切り行為はバレていた。ふたりは明美率いる不良どもに待ち伏せされ窮地に陥る。

<壱>
 
 滝野智が窮地を迎えていたその頃――同地点から直線距離ならほんの400メートル程の位置。
工学部第四棟の廊下を足早に進む人物がいた。
 
「内密に話したいことあり……か。ふんっ、怪しさ120%だな」

 神楽である。
鳳からのメールの内容は、どう考えても唐突で不自然なものだった。
 だが、わずかでも事件解決の手がかりが掴めればと、あえて誘いに乗ってみることにしたのだ。
 無論、こんな時間にこんな場所への呼び出しだ。若い娘の身としての危険は充分承知している。

「妙なこと企んでるのなら、後悔することになるぜ? そん時ぁ手加減しねぇからな、鳳ぃ」

 そう呟くと軽く膝蹴りをする仕草をみせ、不敵に微笑んだ。……どこを蹴るつもりなのだろう?
  
 やがて、目的地に着いた。
 MATRIXと書かれた板がぶら下がったドアをノックする。しかし、応答は無い。

「あれ? おい、鳳! 私だ、OREジャーナルの神楽だ」呼びかけながら、さらに数回ノックを
繰り返す。「おいっ、おいっ」
 無駄だった。相変わらず扉の向こうは沈黙のまま。
「ちっ」神楽は意を決し、ドアを開け……そして思わず叫んでしまった。「ええっ!」

 異様な光景が眼前に展開したのだ。
 無人の室内には、昼間来た時の整然さは跡形もなかった。机や椅子は全て乱雑に倒れ、パソコン
が部屋のあちこちに転がっている。複雑に絡まった色とりどりのケーブルが、ミミズの化け物の死
骸に見えて不気味だった。
  
「こ、これは」中へと入り、辺りを見回す。「何がどうしたってんだ?」
「おや、指定の時間どおりですね。さすがはマスコミの方だ、その辺はきっちりしてらっしゃる」
「んんっ」

――そこへ。突然、何者かの声。
 振り返ると、いつの間にか、ドアの所に立ちふさがるようにスーツ姿の男が立ってた。
 気だるげにこちらを見ながら、ゆっくりと室内へ入ってくる。

「誰だ、お前ぇは?」警戒し、後ずさりして充分に間合いを取りながら訊ねた。
「名乗る必要はないでしょう。無意味ですから」男――須藤雅史は、素っ気無く応えた。
「この野郎っ……ん、待てよ、マスコミの方って言ったよな。私のこと知ってんのか?」
「ええ、OREジャーナルの神楽さん。こんな夜分にお呼び出しして申し訳ありませんね」
「なんだとっ! じゃあ、あのメールは」
「はい。鳳さんでなく、私が打ったものです。まあ、使ったのは彼本人の携帯ですがね」

 言い終えると、須藤はポケットから取り出した携帯電話を神楽の足元へと投げ捨てた。
 それを使用した意図はすぐ読めた。いらぬ証拠を残さない為なのだと。
 だが、だとしたら、この本来の持ち主は今どこに?
 嫌な予感がした。神楽は須藤を睨みつけ、ドスを利かせた声で問いかける。

「おい、鳳はどこだ。お前ぇ、奴をどうした?」
「おや、気になるのですか? なるほど、ああいうのがあなたのタイプでしたか」
「うぐっ、そ、そ、そ、そんなわけあるかーっ」

 須藤はいささかも気圧された様子も無く、淡々と応えた。
 逆に神楽のほうが揶揄に過剰に反応し、真っ赤になってしまう始末。

「ふ、ふざけてんじゃねーっ! 私の聞いていることに答えろよっ」
「ここにいらっしゃいましたよ、部員の方々と一緒に。あなたがメールを受ける少し前まで」
「なんだとっ! おい、部室で何があった? 連中は何処だ?」
「お答えするまでもない。すぐにあなたも知ることになりますから……身を持って」
「この野郎っ」もったいぶった物言いに堪忍袋の緒が切れ、神楽は拳を振り上げ駆け寄ろうとした。

 だが須藤は、その先(せん)を制する。「おっと……」
 最初の一歩を踏み出そうとするところへタイミングを合わせて、傍らの椅子を彼女の手前へと蹴
り転がし、進路を塞いだのだ。
「うぐっ!」出鼻を挫かれ、神楽は立ち止まざるを得なかった。一筋縄ではいかぬ相手だと、今更
ながら気づく。「こ、こいつ……」 
「騒々しいひとだ。あなたも一応は女性なのだから、死に際ぐらいおしとやかにしたらどうです」
 相変わらずの淡々とした口調に、嘲りの色を混ぜて須藤は言った。

「死っ……」神楽は絶句した。
 その言葉が真実なら、先ほどの予感は最悪の形で的中してしまったことになる。
 俄かには信じられなかった。ひとり、ふたりならまだしも、九人もの人間を?
「じ、じゃあ、殺したってのいうか、あいつを? 他の部員も?」
「はい、一人残らず」だが須藤はあっさりと肯定してのけた。「それが何か?」
「な、何か、だとぉ。簡単に言いやがって、この野郎っ」
 怒りと困惑が交じり合った声で神楽が叫ぶ。だが男は少しも意に介さぬ様子。
「……さて、少しおしゃべりが過ぎました。では、失礼」
 そう言い捨てると、背を向けて立ち去り始めた。

「待てよ、こらっ!」
「お断りします。こう見えても私は多忙な身でしてね。だが……」足を止め、振り向かないままで
言い足した。「最期にもう一つだけ教えてあげましょう、ご足労いただいたお礼に。あなたの会社
が必死に追っている連続失踪事件ですが……その被害者たちも、こうして消えたのですよ」
「なにっ!」

 神楽の表情が一変した。語られたのは、まさに驚愕の事実。
 もちろん『失踪事件の真相』そのものが、ではない。ならば神楽は既に知っている。――十三人
いる仮面ライダーのひとりであるゆえに。
 問題なのは、この男『も』知っていたという点だ。
 神楽の内に、ある確信が生じた。「お、お前ぇは……!」

 ――キィィィン キィィィィィン

 言い終えないうちに、耳奥に例の音が響き始めた。
 須藤の声が重なる。「では、今度こそ本当にお別れです。さようなら」
 同時に、神楽の背後で窓ガラスの表面が水の如く揺れ始めた。
 
 そして……次の瞬間!

「ヴァ〜ッ!」異様な叫び声とともに、波紋の中から一体の怪物が飛び出したのだ。
 体色は鈍い黄金色。二足直立の蟹とでも形容すべき外観。
 そやつは両手の巨大な鋏を振りかざすと、神楽目がけて襲いかかった。

「うわぁぁぁぁっ!!」
「ふん……」

 絶叫を背に聞きながら――しかし、眉一つ動かさず――須藤はその場を後にした。

<弐>

 そして――工学部廃棟の空き教室。

「おっ、乳でけぇ!」「いいカラダしてるじゃねーか」「へへへ、早く剥いちまえよ」
「ヒィィィ、止めて、止めてぇ」

 薄暗がりの中に、男たちの下卑た声と女の悲鳴が交錯している。
 女のほうはもちろん浩子である。床に押し倒された彼女の体を、群がるケダモノどもは容赦なく
弄び、その着衣をはいでゆく。抗おうにも四肢はがっちり押さえ込まれ、微動だに出来ない。唯一
少しは動かせる首を振った拍子に、少しはなれた所で滝野智も同じ目にあっているのが見えた。ま
だ意識が戻らないのか、あたかも人形のようになすがままである。

 ――事態は、絶望的であった。

「やだ、やだァ〜ッ!!」「うるせぇってんだよ、このクソアマがっ!」
 金切り声に苛立ったか、男の一人が浩子の顔を数発殴った。
「うぐっ、ううっ」手加減のない殴打だった。抵抗の意思は挫かれ、浩子の口から漏れるのは啜り
泣きへと変わった。「ヒックッ、ヒックッ……なんで、なんでなのぉ」

「きゃはははは、なんでバレたかって聞いてるよ? このバカが」
 楽しげに眺めていた明美が、応えて言った。
「マジこいつ、バカだね」「ほんと、バーカ、バーカ。あはは」
 子分格の女二人も、合いの手を入れる。
 明美は浩子の髪を鷲掴みにして罵った。
「ったく、クズは裏切りひとつまともにできねぇの。あのなぁ……マグネみてーに誰がいるかもわ
かんねーとこでヤベーことをでけー声で語ってりゃー、普通バレるっての。しかも、よりによって
大学前の店じゃん、脳みそねーのか、お前ら? 速攻であたしんとこへチクリが入ったよ」

「あっ……」浩子は今更ながら、自分らの無防備さを悔やんだ。それは彼女や智の善良さの証とも
いえるのだが、美徳が必ずしも身を助ける力にならないのはこの世の常である。

「おい、明美よぉ!」男の一人が苛立ちながら口を挟んだ。「話は後にしろよっ、はやくブチ込み
てぇんだよ、俺らはよぉ!」
「ブチ込みてぇ、ブチ込みてぇよぉ〜」「たまらねぇ! この女の乳!」「邪魔すんなよぉ」
他の男どもも口々に騒ぎ立てるに至り、さしもの明美も舌打ちをすると浩子から離れた。
「るせぇな、わかったよ。ま、友だちを裏切るようなバカなんざ、どーなったって知らねぇ。好き
にしな」「イヤッホゥ♪」「イエ〜イ♪」「ウヒョォ〜♪」
 男たちは嬌声をあげ、浩子の体にむしゃぶりついてきた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁ〜っ!!」
「きゃはは。けっこー色っぽい声出るじゃん、浩子。……あ、そうだ。ちょいストップ!」
 何か思いついたのか、明美が男らを制止した。
 智を襲っている連中にも声をかける。「そっちのお前らもだよっ!」

「ああっ!?」「るせぇな、今度は何だよ!」「勝手に仕切ってんじゃねーぞ、ゴルァ」
 野獣どもの数名がマジ切れ寸前の表情で、明美に詰め寄った。
「まぁ、落ち着けっての。ねぇねぇ、久しぶりに例のゲームやんねー?」
「おっ、あれか!」「面白れーじゃん」「すっかり忘れてたぜ、やるか?」「やるべ、やるべ。へ
へへ」

「よーし、決まりだね。……おい、浩子ぉ」再び髪を掴み、明美は言った。「そんなにイヤか、マ
ワされんの? なら助けてやってもいいよぉ、元・友だちのよしみでさぁ?」
「ううっ……」浩子は応えに詰まった。助かりたいのはもちろんだが、相手が何か企んでいるのが
見え見えだったからだ。
「こらぁこらぁ」明美は掴んだ髪を強く引っ張った。二度三度と。
「痛いっ、痛いぃぃ〜」
「意地張ってんじゃねーよ、バーカ。お前、死にたいの?」
「死っ!?」
「きゃははは、ヤられても命だけは助かると思ってたんだ? 甘ぇよ、こいつらは一度始めたら最
後、女がくたばるまで止めねーのさ」
「おいおい、人聞き悪りぃな明美」「そうそう、俺たちは優しくしてるけどよ、なぜか死んじまう
だけじゃん」「へへへ、優しく切り刻んでんのによぉ」「俺もそーっと首絞めてるぜ、いつもな。
ヒャハハハ」

 男たちの口調や雰囲気は、台詞の凄惨な内容が真実であることを告げていた。浩子は本能的な恐
怖に突き動かされて悲鳴を上げた。
「いや、いや、いやぁぁぁぁっ」
「だろ? だから助けてやろうか、っての。ただし、あたしの言うとおりできたらね」
「……い、言うとおり?」
「なーに、簡単なことだよ。ほらっ」

明美は傍らを指差した。そこにはまだ意識の戻らぬ滝野智がぐったりと横たわっていた。服はほ
とんど脱がされていたが、かろうじてブラとショーツは残っており、取り返しのつかない事態にま
では至っていない様子である。

「けっ、ガキみてえな胸の癖にブラなんかつけやがって」吐き捨てるように言うと、明美は智の膨
らみをヒールで踏みつけた。「浩子、来なっ」
 その言葉に合わせて男たちも束縛の手を放し、促した。「ほら、行けよ」
 浩子はふらふらと立ち上がると、そちらへと歩み寄った。

「よーし。じゃあ、まずこいつをお前の手で素っ裸にしなっ」
「ええっ?」
「脱がしたら、手を押え付けるんだ。床を背に、バンザイのポーズでさ。後はずっとそのままキー
プね。終わるまで、絶対離すなよ」
「あ、あの、終わるまでって?」
「きゃははは、決まってるじゃん。滝野がこいつらにハメられまくって、くたばるまでさ。楽な仕
事だろ?」
「そ、そんなっ!」

「できるよねぇ、浩子ぉ?」明美は怯える娘の肩を抱き、耳元でなだめるように囁いた。
「あたしねぇ、裏切られるのが一番でぇっ嫌いだけどさ、今回はしゃーないかなって思えるトコも
あるんだ。だってお前は滝野にそそのかされただけなんだろ? こいつは口だけは達者だからさ、
トロくせぇお前が丸め込まれちまうのも無理ないし。ほーんと、カワイそーに」
「う、ううう……」

 同意したい気持ちがこみ上げてくる。確かにそのとおりだ、と。
 そんな小心者の心中を見透かしたように微笑むと、明美は言葉を続けた。

「そうだよ、悪いのはこいつ、許せねーのもこいつなんだ。きっちりお前自身でカタぁつけな! 
それで、お前の裏切りはなかったコトにしてやるよ。さあっ!」
 言い終える、明美は少し離れた机の上に腰をおろした。他の連中もニヤニヤしながらそれに倣う。
あたかもショーの出演者と観客のような位置関係だ。

「あ、う……」
 だが、床に転がされたままの智を見下ろしながらも、なおも浩子は決断がつかなかった。
「どうした、どうした!」「早く脱がせろよぉ!」「浩子ぉ、ブラの外し方忘れたのぉ?」
 からかい、あざ笑うような口調のヤジ。せかすように足を踏み鳴らす音。
 恐怖とプレッシャーから、気弱なこの娘の意識はゆっくりと遠のいていった。

 ――そそのかされただけなんだろ? 

 耳の奥に、明美の台詞が蘇る。

 ――悪いのはこいつなんだ。

 そうだ、と応える声が己の内から発せられた。私はイヤだったのに、滝野が強引に説き伏せたん
だ。こいつのせいで、私までマワされて殺されちゃうんだ。このバカのせいでっ!
 膨らむ怒りに背を押され、浩子は半ば正気を失った状態で智のシンプルなデザインのブラに手を
伸ばした。
 
「おっ、やるぞ」「やるのか」「オッパイぺろーん」「ご開帳ぉ〜♪」「ムハー♪」 
 邪悪な観客どもの歓声に煽られ、指がフロントホックを外そうとする。

 だが。この時、異変が生じた。

「ん……あれ?」

 滝野智が、ようやく意識を取り戻したのだ。

<参>

――再び、MATRIX部室。

「これで十二人目か」須藤雅史は呟いた。

 ドアに向かってゆっくりと歩きながら、懐から取り出した黒いケースに一枚のカードを戻す。

 ケースには、蟹を意匠化した紋章が刻まれていた。――すなわち、カードデッキ!
 カードには、先ほどの蟹に似た異形が描かれていた。――すなわち、モンスターとの契約の証!
 そう。神楽が悟ったとおり、彼もまた仮面ライダーだったのだ。
 
「……他愛も無い」と、額に掛かった髪をかき上げる。

 芝浦から請けた暗殺のターゲットは、MATRIX部員と神楽、滝野智、春日歩の計十四名。う
ち、留置所に収監されていた蟹江と三津地は真っ先に処分済みである。
 残る二名も平凡な小娘。問題ない、今宵のうちに始末できよう。

「ふふ……」思わず笑みがこぼれた。
 
 だが――。
 部室から廊下へと出ようとした刹那。
 須藤は硬直した。
背後からかけられた有り得ぬ声によって。

「……おい、待てって言ってんだろ。こっちの話は終わっちゃいねーっ!」
「あ、うっ」

 馬鹿な、何かの間違いだ。信じられぬといった表情で振り返る。
 そこには驚くべきことに、先ほどの娘が傷一つ無く立っていたではないか!
 
「こ、これはどうしたことだっ!」この男には珍しい狼狽ぶりだった。「ボルキャンサーッ!?」
「ヴゥアア、ヴァァ」

 主の問いかけに、彼の契約モンスターは苦しげな呻き声を返した。
 須藤は知った。一度はガラスから飛び出したそやつの体が、背後から掴みかかった何者かによっ
てじりじりと引き戻されつつあることを。

「グォォォォ〜ン!」完全に蟹の体が中へと消える刹那、咆哮とともに妨害者の姿が垣間見えた。
 ボルキャンサーを上回る巨体とパワー。人の姿を模した白虎とでもいうべきシルエット。
「他のモンスターが、なぜ邪魔を? ま、まさかっ」
「その、まさかだ!」
 
 怒りも露に掲げる神楽の右手には、鮮やかなブルーのデッキ。――刻まれたるは、虎の紋章!
 指先に挟まれた『召喚』のカード。――描かれたるは、あの白虎!
 疑念を挟む余地も無い。須藤は、ひとつしかない結論を口にした。

「あ、あなたもライダーだったのですか! ……これは驚きました」
「黙れっ、薄汚ねぇ人殺し野郎がっ! お前ぇは絶対ぇぇぇ許さねぇ!」

 返ってきたのは激しい罵声だった。
 どうやら自分が命を狙われたことより、部員達を殺害したことにお怒りの様子だ。
 須藤は、ふんっ、と鼻を鳴らした。青臭いことだ、デッキ所有者とはいえ所詮は小娘か。
 動揺は治まり、いつもの冷静さが戻ってくる。

「来やがれっ、思い知らせてやるっ!」

 逆に、あちらのテンションは上がる一方だ。
 火が吹き出しそうな目でこちらを睨み、女記者はデッキを手近な窓ガラスに突きつけた。引き締
まったウエストに、いずこからか銀色のベルトが出現する。

「……いいでしょう」

 断る理由はなかった。もとより、出会えば戦うのがライダー同士の定め。加えて、つけいる隙が
多そうな未熟者が相手なら申し分ない。
 口元に笑みを浮かべ、自らもデッキを構える。
 傍らの姿見にその身を映すと、神楽同様、腰にベルトが装着された。

「おりゃっ!」「ふんっ」

 次いで気合と共に、神楽は両の腕を振り回した。踊りか武道の「型」のように。須藤も違う
「型」で後に続く。
 体の奥底で何かのスイッチが入ったような感触が起こり、体に力が漲り始める。 
 これで、準備は整った。
 両者はほぼ同時に、デッキを己がベルトのホルダーへ叩き込み……叫んだ! ――しばし『人』
であることに別れを告げる言葉を。

「変身っっ!」 「変身」

 直後、まばゆい光が視界を奪い、身体感覚が喪失する。まるで己の総身が光芒の中に溶けてしま
ったかの如く。
 だが、須藤に不安はない。既に何度も体験し、熟知している。これは生まれ変わりの儀式だと。
 すぐに新しい器(うつわ)が得られる。はるかに強く、堅く、優れた肉体が。
 この様に――!

 黒を基調とした体の随所を金色の甲冑が覆い、肩当には蟹の足を思わせる左右四対の突起。左手
首には、まさしく蟹のハサミを象徴する形の召喚機。――その名も仮面ライダーシザース!

「ふぅぅ……」回復した視覚が鏡の中に捉えた我が身を確認し、満足げに息を吐く。
 傍らを見やれば、同じく異形へと変貌した女記者の姿があった。虎をイメージさせるプロテク
ターは、白、いや、鈍い銀地に青の縞模様。

「でやっ!」「はっ」

 短い掛け声を残し、二人は鏡の中、すなわちライダー達の戦場・ミラーワールドへと身を投じて
いった。



 数秒後。無人になったはずの部室内に、佇む影がひとつあった。

「いらぬ心配だったか。手塚の影響など、微塵もない」神崎士郎は満足げに呟いた。「それでいい。
神楽よ、戦いに飢えた雌虎よ、戦え、戦え……」

<四>

 智の見開かれた瞳が、浩子の顔を捕らえた。「え、お前、なにやってんの?」
「あ、あの、こ、こ、これは……」
「あーっ、なんだ、脱がされてる。うわーっ!!」

 浩子が罪悪感から言い訳じみた台詞を口走るより早く、智は自分の置かれた状況を悟り、悲鳴を
上げて逃れようとした。

「逃がすなよっ!」「は、はひぃ」
 明美の怒声が飛び、弾かれるように浩子は智にしがみついた。

「は、放せ〜っ!」小柄な娘は振りほどこうとしたが、女同士とはいえ体格差があり、ままならな
い。「この裏切り者ぉ〜」
「ああ? 寝ぼけたこと吼えてんじゃねーよ」無念げな智の叫びに応えたのは明美だった。「そい
つはあたしの友だちなんだから、元のサヤに戻っただけじゃん。つーか、お前に騙されてバカなこ
とさせられたから、復讐したいんだってさー。だよねぇ、浩子?」
「……う、うん」もはや、そう応えるしかなかった。
「なんだとーっ!」
「きゃはははは、いい気味ぃ♪ さぁ浩子、さっさと剥いちまいなっ!」
「う、うん」
「止めろー、このっ、このっ!」
  
 どちらも必死であった。だが、数十秒の後、勝ちを制したのはやはり体格の利がある浩子だった。
馬乗りの姿勢で、両手を床に押さえ込むことに成功したのだ。

「おいおい、なんかレズみてぇで超コーフンするぞっ」「俺、ドピュッと出ちゃいそうだよぉ」
「浩子ぉ、なんならお前がそのままヤっちまってもいいよ。きゃははは」

 鬼畜どものお気楽な嬌声をBGMに、浩子と智は睨み合った。
 立場は違えど、どちらも乱れた下着姿で、そして目を涙で真っ赤に腫らしながら。

「バカヤロウ……バカヤロウ……」荒い呼吸の中、搾り出すような声で智が言った。「お前ぇ、ま
たあんな奴らの下っ端に戻るのかよっ!」
「あ……う」
 胸に鋭い痛みを覚え、浩子は小さく呻いた。智の叱責が奥深くに突き刺さったのだ。
 それが契機となり、抑圧してきた様々な想いが次々と心中で叫びを上げ始めた。

 いや……もう、いや、こんなの、こんなのいやっ!!!
 私、何をしようとしてるの。滝野の体と命を差し出して、自分だけ助かろうって? なんて卑怯な、な
んて薄汚いことを。こんなの、こんなの絶対間違ってるよっ!

 だが、すぐにそれを否定する気持ちも湧き上がる。

 でも、でもやらなきゃ自分が犯されちゃう、殺されちゃう。明美も言ってたじゃん、こんなことになった
のも滝野のせいだ。悪いのはこいつなんだ。だからこいつが酷い目にあうのは当然なんだって。

 また違った声が叫ぶ。

 嘘だ。本当に悪いのはこいつじゃあない! 悪いのは明美ら、そしてこの不良どもよ! いったいな
んの権利があって、こんな酷いことするの。この、人間の屑どもがっ!

 そこへ、自虐まじりの囁きが。

 私も同類でしょ、明美らと。言われるがままに、さんざん悪さしてきたじゃない。何をいまさら善人ぶ
ってさ。

 悲痛な叫びが応える。

 そう……そうよ。万引きとか、スケベ親父引っ掛けるのとか手伝わされた。本当はいやだったけ
ど、仲間はずれにされて、ひとりぼっちになるのが怖くて。でも、でも……もう耐え切れない。…
…お姉ちゃんが……大好きだったお姉ちゃんが自分を犠牲にして守ってくれたこの命を、これ以上
悪いことして汚せない、汚しちゃいけないのっ!
 
 その一喝で、他の心の声は沈黙してしまった。もう、浩子の中に迷いはない。
 改めて、智の顔を見た。泣き腫れた目で、こちらを真っ直ぐ睨んでいる。なんだか……精一杯の
意地を張っている小さな子供のように見えて、愛しさすらこみ上げてきた。
 心の中で、そっと語りかける。

 滝野……助けてあげるからね、きっと。帰してあげるからね、必ず。あんたを待ってるひとたち
の所へ。たとえ私は殺されても……いいの。だって、それは自分の罪滅ぼしだから。
 ねぇ、あんたは気づかなかったかもしれないけど、さっきね、マグネでダベってた時、私ね……
もの凄く楽しかったの。ここに入学して以来、あんな楽しいのって初めてだった。うふふ、あんた
ってサイコーに愉快な奴だよ、ホント。
 ……あーあ、もっと早く出会えてたらなぁ、明美なんかより先に……そしたら……そしたら。
 ……さてと、やるかっ!

 長い逡巡は終わった。実際には数秒しか経過していなかったが。
 腹が決まると、横目で辺りを観察するゆとりもできた。
 なんという幸運――ほんの数メートル先に、廊下へのドアがあるではないか!
 そして明美らがたむろしている位置は、自分たちを挟んでドアと反対側。おまけに、傍らには古
びたモップまで転がっていた。
 よし、やれる! 最後に深呼吸をひとつ。……いくよっ、一世一代の大勝負だ。

「滝野、逃げて……」
 そう囁くと、浩子は勢いよく立ち上がり、モップを手に取った。
 他の一同は、智も含めて、まだ浩子の意図が飲み込ないのかキョトンとした顔で固まっている。
 もう一度、今度は大声で言った。自分を奮い立たせるために。
「逃げてっ! 滝野っ、逃げてぇぇっ!!」
 その声に弾かれるように智は跳ね起きた。
「よっしゃ! 誰か呼んでくるっ!」そう叫びながら、たちまちドアから室外へと飛び出してゆく。

「ハァ?」「テメェ、このっ!」「ざけんなよっ!」「逃がすかよっ!」
 やっと事態を認識した男たちが怒声とともに立ちあがる。
「……浩子、わかってんだろうなぁ、自分が何やってんのか? おいっ!」
 明美が般若の面のような形相になり、睨みつける。
 だが、浩子は少しもひるまず言い返すことができた。「うるせぇ〜っっっ!」

 怖くなんてなかった。むしろ心地よさすら感じていた。
 小心者ゆえ溜め込んできた鬱屈が、今、マグマとなって大噴火を始めたのだ

 勇ましくモップを構えると、ドアを背に野獣どもの前に立ちふさがって啖呵をきった。

「ここは、ここは、ぜったい通さねぇぇぇぇっ!!」

<五>

「はっ」柔らかく着地し、シザース=須藤は周囲を見回した。

 戦いの舞台は校舎間の遊歩道、MATRIX部室から表へと飛び降りた地点。ただし全てが左右
反転した鏡の世界であることはいうまでもない。
 
「……む」敵の姿が見当たらない。同時にミラーワールドへと飛び込んだはずなのだが。

 小癪なマネを、と思った。どうやら物陰から不意打ちを仕掛けるつもりのようだ。確かに街路樹
やら植え込みやらが多く、身を隠す場所には事欠かない地形。加えて刻は夜更け、闇を照らすの
は月光とささやかな常夜灯のみ。狙いどころは悪くない。――人間同士の戦いであったなら。

「おやおや、怖気づいたのですか? いきなり隠れん坊とは情けない。先ほどの威勢はどうしたの
ですか?」皮肉と嘲りをこめて言った。「それとも奇襲でも狙っているのですか? 無駄なことを。
生身の戦いならまだしも、ライダーにはそんな手は通用しない」

 須藤の解釈は正しかった。変身したことにより、はるかに強化された五感。新たに備わった赤外
線ビジョン。それらを欺いて接近するなど不可能と言えよう。
 ――並の相手であったなら。
 もし今、この戦いを傍らから見ている者がいたならば、その人物は思わず息を飲み拳を握り締め
たに違いない。自慢げに語るシザースの背後には、すでにタイガが忍び寄っていたのだ。

「ぐがぁっ!」突然、背中に痛みが走った。エネルギーがスパークする爆音と共に。「なにぃ、そんな
馬鹿なっ」
 あわてて振り返る。誰もいない。そして、再び背後から攻撃が!
「うがぁっ! ……ちぃっ」振り向きざまに、左手の召喚機・シザースバイザーで切り付けた。
 いない。切れたのは空気のみ。みたび背中に火花が飛んだ
「ぬぐぅっ、う、ああ……」
 シザースはたまらず、無様に地面を転がって手近な茂みへと逃げ込む。その際、目の端にちらりと
樹木の枝へと飛び上がるタイガの白い影がかすめた。
「はぁ、はぁ……」荒い呼吸のまま、バイザーにカードを差し入れた。

『ストライク・ベント』

 認証音と共に、右手にボルキャンサーのそれに似た大鋏・シザースピンチが装着される。
「ふうぅ」と、溜息が漏れた。武器のもたらす頼もしさがひと握りの安堵をもたらしたのだ。茂みの隙
間からタイガの消えた辺りを窺いつつ、状況分析を始める。
 ……これは、おみそれした。気配を完全に消すことができるとは。だが、透明人間になれるわけ
であるまい。現に一瞬、樹上へ逃れる姿が見えた。先ほどの不可視な三連撃にしろ、こちらが振り
向くより早く背後に回りこめば可能なトリックだ。
  
 ならば、こちらにも策はある。そう思い、もう一枚カードを抜こうとした時だった。
 またしても背中に衝撃を受けたのは。

「うわーっ」体が前方へ飛ばされ、歩道の石畳を転がった。
「なにボケっとしてんだーっ。もしかして隠れてるつもりだったのか、あれで?」
 嘲るような声が後に続く。
「ぐうう」痛みと屈辱に歯を食いしばりつつ顔をあげると、そこには悠然と敵手が立っていた。
 奴は手にした戦斧を掲げ、刃の付け根にあるホルダーにカードを挿入する。

『ストライク・ベント』

 奇しくも使用されたのは同種のカードだったが、タイガの手先に出現したのは鋏でなく禍々しい
爪を持つ手甲。その切っ先をこちらに突きつけて、勝ち誇るように言った。
「へっ、夜とはいえ赤外線で覗けば丸見えなんだよ、こんな茂みの陰なんざ。まあ、私みたいに普
通の視覚じゃなきゃ捉えられねぇ『隠行』が使えれば話は別だけどな」

「ううう」悔しさに呻き声をあげる……ふりをしつつ、シザース=須藤は心中でせせら笑った。
 つくづく呆れさせる女だ。なぜわざわざ己が手のうちを明かす? そして何ゆえ、そんな便利な
裏技を持ちながら敵の前に堂々と姿を現すのだ? 
  
「ふんっ!」
 素早く身を起こしつつ、シザースは大鋏でタイガの爪を払いのけた。続いて頭部を狙い打つ。
「けっ、当たるかよっ」
 タイガは楽々回避しつつ大きく後ろに跳躍すると、街路樹の木立に消えた。

「おのれっ」ライダーの超感覚を総動員して、周辺のスキャンを試みる。
 ……感知できない。
 認めざるを得ない、恐るべき特殊技能だと。しかし付け入る隙はあるはず。例えば――。
 シザース=須藤は、咄嗟に思いついたひとつの策を実行に移した。

「なるほど、素晴らしい。どこに隠れたのか、全く捕捉できません」
 そう言いながら、手の平を上に向け肩をすくめ、米国人がよくやる『お手上げだ』のジャスチャー
をしてみせる。
 当然、返事はなかった。かまわず話を続ける。
「ですが皮肉なことですね。そんな凄い力を持っているあなたが、お友達ひとり守れないなんて。
ええと、確か、名前は滝野智さんでしたか? 可哀そうに、今ごろはさぞや酷い目にあっているこ
とでしょうね」

 ゆらり……。あたかも陽炎が立つように、斜め後ろの木陰に何者かの気配が湧き上がった。
 ――捉えた。『隠行』敗れたり。
 悪徳刑事は仮面の下で、にんまりと笑みを浮かべた。
 一般的に、高度な技の運用には集中力を要する。ならば、激しく動揺させれば或いは?
 そんな彼の読みが見事に的中したというわけだ。 

「おや、反応がないですね。もしかして嘘かとお疑いですか?」口調に歓喜が漏れないよう注意し
つつ、ひとり語りを継続する。

 ……ブラフではなかった。この男は、智が現在窮地にあることを知っていたのだ。
 夕刻、マグネトロンバーガー・明林大学前店にて智と浩子が語らっていた際、そこに彼も居合わ
せていたのが事の始まりだった。
 単なる偶然――部室の連中をボルキャンサーに喰わせる前に、自分も軽く腹ごしらえをしようと
寄っただけのこと。
 もちろん彼女がターゲットのひとりであることには、すぐ気づいた。ちょうどいい、ここで始末
してしまおうとも考えた。
 だが、須藤は思いとどまった。少し離れた席に、不審な動きをしている女がいたからだ。
 掌を添えた耳を智たちの方に向け、話を盗み聞きをしては怖い顔でメールを打っている。携帯に
ついたカメラで二人を隠し撮りまでしていた。添付送信でもするつもりなのだろうか。
 ……予感がした。何か面白そうな展開になりそうだ、と。
 智のことは後回しと決め、しばらくして席をたった女に続いて店を出た。
 その後の『捜査』は、刑事であり、ライダーである彼にとってはお手のもの。小一時間もかから
ず、企みの全貌をほぼ把握することができた。――容疑者たちに、いささかも悟られることなく。
 
 閑話休題。
 タイガの気配は、未だ最初の位置に留まったままだった。己が術が破られたことに気づいていな
いようだ。須藤は思った。反撃のチャンスだ、と。

「ならば、ご自分の目で確かめればいい。なに、すぐ近くですよ。ここの校内ですから」わざと見
当違いの方角に向けて声を発した。潜む場所を看破したことを悟られないように。「……婦女暴行、
そして殺人の犯行現場は」

 微かな呻き声が聞こえた。今の言葉によほどショックを受けたようだ。もはや奴の存在は、生身
であっても察知できる状況にある。
 そちらに背を向けたまま、じわじわと接近する。「いや、まだ未遂どまりかも知れませんね」

 残る距離二メートルとなった。間合いだ!
 須藤は意を決し、カードをホルダーに叩き込んだ。

「行くのなら、急いだほうがいいですよ」『アドベント』
 声と認証音が重なった。設定した召喚位置は、タイガの背後。狙うは挟撃!
「できたらの話ですが!」叫びながら振り返りつつ、街路樹をシザースピンチでなぎ倒した。

 舞い上がる土煙の中に、憎き敵の姿が現れる。困惑げな声がした。「なにぃ!?」
「あなたは調子に乗りすぎたっ」左のバイザー、右のピンチ、両の鋏でタイガを狙う。「それが命
とりだ」
「うるせぇっ」あちらも両手に武器がある。左右の爪でそれぞれ鋏を受け止めた。結果として、四
つに組んでの膠着状態になる。
 いまだ! と、確信した。アドベントから出現までのタイムラグを考えても、ちょうどいいタイ
ミングである。脳内で、己が下僕に指示を飛ばす。――やれ、ボルキャンサー!
 
 よし。これでこいつは、無防備な背後から深刻なダメージを受ける。そこへファイナルベントだ。
 勝利への流れを思い描き、須藤は仮面の下でほくそ笑む。

 直後、彼の耳が捉えたのは、タイガの悲鳴ではなくボルキャンサーの苦悶の呻きだった。

 ――ブァァ、ブァァ
 ――グォォォ〜ン、グォォン

 姿はなく、虚空から声のみが聞こえてくる。先ほどの白虎の咆哮も重なっていた。
 馬鹿なっ、召喚できないだとっ! まだあの虎から逃れられないのか?
 予想外の展開に、一瞬、シザース=須藤の心に空白ができる。

「この野郎っ」そこに隙ありと見抜いたか、タイガは新たな行動にでた。爪で鋏を絡み取るように
して、シザースの体を引き寄せたのだ。
「ぬぉっ」何が来るかは予想できた。この体勢だ、膝蹴りしかあるまい。腹筋に力を入れ、衝撃に
備える。

……だが。

「うごっ、ぷ」思わず漏れる奇声。詰まる息。意識も一瞬飛びかけた。堪えようもない重さを伴っ
た痛みが広がってゆく。――下腹部に。
 蹴られたのは、金的だったのだ。
 たとえライダーであっても、たとえ強化皮膚・グランメイルで覆われようとも、そこは克服しが
たい男性の急所。

「てめぇは、そこでくたばってろっ!」そんなシザースを、タイガは無慈悲に蹴り倒した。「……
くそ、智、智ぉっ」
 奴は走り去った。友人の名を叫びながら。もはやこちらに、なんの関心もない様子で。

「あ、ぐぐ」その足音を遠くに聞きながら、シザースは地をのた打ち回った。股間を手で押さえ、
くの字になって。
黄金の甲冑が、そして男のプライドが、土埃と泥にまみれてゆく。
 嗚呼、なんという屈辱であろうか。 
「ぐぐぅ、ぐぐぐ、許さんっ……あの小娘、殺す、必ず。この手で、必ずぅぅ」

 喉の奥底から搾り出すような声で、須藤は復讐を誓った。

<六>

「ぐぅぅ……」誰かが呻き声を上げていた。
 男たちの手が、その体をうつ伏せに押さえつけている。
 浩子である。
 彼女の『一世一代の大勝負』は、わずか数分であっけなく終わりを迎えてしまっていた。

 とはいえ、賞賛に値する敢闘ぶりだろう。格闘技術もない只の小娘が、モップ一本でケンカ慣れ
した外道たち相手に、ここまで持ちこたえのだから。
 
「きゃはははは、けっこー頑張ったじゃん? トロくせーお前にしてはよぉ」明美が歩み寄り、ヒール
のつま先で頭を踏みつけた。
「痛たた、ち、ちくしょぉっ」
「ぜったいとおさねー、じゃなかったのかよ、ああ? きゃははははぁ」
 さらに先ほどの啖呵をわざと滑稽に――ご丁寧にモップを構えるアクションまでつけて――真似
てみせ、品のない笑い声をあげた。
「ほんとこいつバカだよねー」 「マジでバカじゃん。さっさと死ねってカンジ」
 明美の部下AとBも、彼女に追従する。
「いらねー手間かけさせやがってよぉ」「たーっぷりお仕置きしてやっから」「もちろん、死ぬまでな
ぁ、いえっへへっへ」男たちも卑猥な言葉で嬲った。
 かすれる喉で、それでも浩子は屈せず叫んだ。「ち、ちくしょうっ」

 実のところ、悔しさはさほどでは無かった。大きな仕事をやり遂げた後の心地よさだけが、この
娘の心中をほぼ占有していたのだ。
 時間稼ぎは、あれで充分のはず。校舎の外へさえ出られれば、公衆電話も多い。隠れる場所だっ
て、いくらでもある。助かる……智だけでも。
 そう考えると、顔に自然と薄笑みすら浮かんだ。

 ――しかし。
「きゃははははははははははははぁ〜」明美はなぜか、そんな彼女を見て、けたたましい笑い声を
あげたのだ。「このバカ、マジでバカ、きゃはははは」
「ぎゃひひひひ〜」「うぃーひっひっ」「へはっへはっ、腹がよじれる〜」
 不良たちも声を合わせて笑った。

「はぁ? 何がおかしいんだよっ」不安になり、浩子は問いただした。
「きゃはははははははははははは……はぁ、はぁ」笑い疲れて息も荒い明美が応えて言った。「こ
いつ、自分に酔ってるよ〜、ひぃひぃ、マジで、マジでバカだ〜」
「ぐはははは、久々の大ヒットぉ?」「ヤベぇ、ヤべぇよ、この女ぁ♪」「マジヤベぇ、うひひひ
ひ、メチャ笑える〜」

 コーラスのように重なる嘲笑に耐えかねて、浩子は叫んだ。「な、何がだよっ!?」
「ひぃひぃ……浩子ぉ、浩子さぁ、もしかして、『私は犠牲になってもぉ智を逃がせたからそれで
いいの♪』ってカンジ? なぁ、なぁ?」
 明美が未だ笑いの発作が治まりきらない己が腹部を押さえながら言った。
「だから、何だってんだよっ」
「きゃはははははは……あーあっ、マジ笑わせてもらったよ。おい、そろそろいいだろ。連れて来
させな」
「うはははは、オッケー♪」男のひとりが頷くと、携帯でどこかへ連絡を取る。
 するとたちまち荒々しい足音が近づき、数名の男どもがドアが開けて入ってきた。
「お待たせしました〜みたいな? けははっ」

 そやつらが床にごろんと転がした物体を認めるや、浩子は絶叫を上げた。

「と、智ぉっ!? な、なんで、なんでぇぇ〜〜っ」
 そう、それは滝野智だったのだ。
 その身はぐったりとして、意識は全くない様子。よく見ると、顔の左半面が赤く腫れて痛々しか
った。――かなり強く殴られたのだろう。

「くぅ、智、ともぉぉっ」男たちの拘束すら振り切らんとする勢いで、浩子は身を捩った。
 その顔面を無造作に踏みつけて、明美は言う。
「きゃはははは、また、なんでって聞いてるよ、こいつ。あーあ、この手のクズはいっつもそうだ、
自分がなんでクズなのかも理解できねぇの。ま、いいか。おい、教えてやれよ」

 茶髪のデブが、浩子の髪を鷲掴みにしながら応えた。
「ぐふぐふ。残念だったなぁ、根性見せたのによぉ。ドアの方に誰もいねーからラッキーと思った
んだろ? けっ、ナメてんじゃねーよ、ボケッ」
 他の不良たちも、後に続いて次々と罵り始めた。
「あのなぁ、俺らはよぉ、女を拉致ってマワすことに関しちゃープロなのよ、プロ? そんなマヌ
ケじゃねーつーの」
「わざとだよ、わ・ざ・と♪」
「そ。俺らのちよっとしたお楽しみ。ゲームみてーなもんよ」

「わ、わざとぉ? げ、ゲームぅ?」
 いまだ事態が飲み込めず、浩子はオウムのようにそのまま問い返すことしかできなかった。
「そ、ゲームさ」応えたのは明美だった。「半年ほど前にさ、こいつらが普通にマワして殺すだけじ
ゃー刺激が足りないってほざいてたから、あたしがアイデア出してやったのさ」

 彼女が心底楽しげに解説した仔細は、以下の通りだ。
 まず、男女の二人連れを拉致する。
 男性の方を徹底的に痛めつけ死の予感を味合わせてから、交換条件を持ちかける。先ほど浩
子にしたように。女を押さえつけて輪姦に加担すれば、お前の命だけは助けてやる、と。
 その際、あえて隙を見せて、逃走の可能性を男に気づかせる。
 すると、ほとんどの場合、男は悲壮な決心のすえ、自分を犠牲にしても女を逃がそうとする。そ
れが罠だとも知らずに。
 逃げ道にはあらかじめ別働隊が伏せてあり、女を捕らえてしまうのだ。
 そして――。

「自分に酔ってるバカにさ、とっつかまえた女を突きつけてやるのさ。今みたいによぉ」
「ま、女同士って取り合わせは今回初めてだけどなぁ」
「そん時、そのバカどものするマヌケづらときたら……きゃはははははははは」
「げはははは、思い出してもマジ笑える、マジ」
「ひーっひひひ、バカなんだよ、マジ、バカなんだよ。お前、アニメのヒーローにでもなったつも
りかっての。超ダセぇ〜」
「俺、いっちゃん笑えたのは、この前のオヤジ」
「あーあー、カップルじゃなくて親子だった時のヤツか。へへへ、娘のほうはまだ中坊で……」 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁ〜〜っ!!」
 浩子の口から奇声が迸った。
 耐え切れなくなったのだ、心の奥底からこみ上げる激情に。それは自分自身のものだけでなく、
同様に踏みにじられて散ったであろう犠牲者たちへ想いも混じっていた。
 さぞや無念だったろう、悔しかったろう。……そして、腹立たしかったろう。
 大切なものを、かけがえのない人を、こんなクソどもの暇つぶしのために奪われて。たぶん――
その命さえも。

 しかし、明美は煩わしそうにこう言い捨るだけだった。
「うっせいなー。パニクるのはまだ早ぇよ、お楽しみはまだまだこれからじゃん?」
「激しく同意ぃ♪」男たちが歓声とともに滝野智に群がり始めた。
「いやっほぅ、それじゃー始めっか」
「イッツ、ショータイム♪」
「やっとご馳走にありつけるぜ〜、お代わり自由だろうな〜?」
「けけけ、待たされすぎて、チ○ポが痛ぇ〜」

「キサマらぁ、キサマらぁぁぁぁっ〜」
 さらに激昂して、浩子は呻いた。
 その体を配下の女ふたりと押さえつけながら、明美が囁いた。
「あわてるなっての、じきにお前の番になるからさ。ま、とりあえず、今はじっくり見学すれば?
あのバカが汚されまくったあげく殺されるとこをねぇ。きゃはははははは」
「ちくしょう、ちくしょう……誰か、誰かぁ、助けてぇぇぇぇぇ」
「おいおい、いまさら助け呼んでるよ」「来ねーってんだよ、チョーウゼぇ」

 万策尽きた浩子は、残り少ない体力と気力を振り絞って叫び始めた。
 明美らの言うとおりであろう。こんな時刻に、こんな場所で、聞きつけてくれる者などまず居る
まいに。――それを充分承知の上で、かすかな望みだけを託して。
 
「助けてぇぇぇ、助けてぇ、誰か、誰かぁぁぁ……」

 続けるうちに、少しづつ意識が遠くなっていった。絶望と疲労から、この娘の心身は既に限界に
達していたのだ。
 この時、ふと、混濁を始めた脳裏に、ある人物の顔が浮かんできた。
女性だ。髪は毛先があちこち跳ねたショート、瞳は猫を思わせるつり目。

 ……誰? そうだ、あの時、智と話していたOREジャーナルの記者。名前は確か、神楽。そうだ、
あの人だ! あの人なら来てくれる、きっと、きっと。
 
 何故か――脈絡も根拠も無く確信できた。浩子は心に安らぎすら覚え、眠りにおちるように失神
していった。神楽の面影に、祈りを捧げながら。

 ……早く来てください
 ……助けてください
 ……私はいいから
 ……智だけでも
 ……助けてく
 ……たすけ
 ……て

<七>

 一方、タイガ=神楽は……重い遺恨を須藤に残したなど露知らず。
 白い疾風となって、夜の闇を切り裂いてゆく。
 ひたすら全力で走る、走る。
「くそっ、どこだ、どこにいるんだっ!? 智っ、智ぉぉっ」そう、叫びながら。
 
 直感が激しく告げていた、須藤の言葉は真実と。――急がねば、智が危ない!

「だめだ、こっちからじゃ埒が明かねぇ」吐き捨てるように言った。「いったん外へ出ねぇと!」
 さしものライダーの超感覚でも、ミラーワールドから現実世界を探るのは困難なのだ。
 冷静に考えればすぐわかることなのだが、今の神楽には無理な注文というもの。

 焦る心は確実に、ふたつの大きな過ちをこの娘に犯させていた。
 ひとつは、上記の如く、すぐに鏡の世界から出なかったこと。
 結果として、智から遠ざかるはめになってしまった。往くべき場所は、シザースと戦った地点の
すぐ傍だったのに。
 いまひとつは、他の事に気を取られ、我が身に迫る危機に無警戒になっていたこと。
 往々にして、動物が命を落すのはそんな時である。
 そして、まさに今も!

 意を決したタイガ=神楽が、手近な窓ガラスに飛び込もうとした次の瞬間だった。

 ――爆音! それは己が脚部から聞こえた。
 ――激痛! わずかに遅れて、脳髄へ駆け上がった。
「うがぁぁぁぁぁっ」絶叫は一番最後に迸った。

 倒れ伏し痛みに体を痙攣させながらも、神楽は悟った。大砲か何かの直撃で、膝が砕けるほどの
ダメージを受けたのだ、と。
 苦しい息の下で搾り出すように叫んだ。思い当たる緑の射手の名を。

「ううう、ゾルダ、か……、き、北岡かぁぁぁ、クソ野郎っ」

 離れること、数百メートル。校舎の屋上。
 そんな彼女の悪態に応えるように呟く声があった。

「そう、俺よ、神楽ちゃん。クソ野郎は余計だけど」

 緑を基調とした体の随所を、戦車を連想させる意匠の甲冑が覆う。仮面ライダーゾルダこと北岡
秀一、その人である。

「驚いたよ、裏カジノの後始末絡みで来てみたらお前がいてさ」巨砲・ギガランチャーを構えたま
まの姿勢で言った。「偶然……いや、俺みたいな天才にとってはこれも必然か?」

 射手は、再び獲物に狙いを定める。瞬く間にロックオンは完了した。巨砲の照準は、彼の目――
フォトエレクトロンアイと連動しており、対象を見つめるだけで微調整がなされるのだ。
 電子の視界の中では、タイガが召喚機デストバイザーを杖代わりに、必死に立ち上がろうとして
いるところだった。
 脚部をズームしてみる。右脚が有り得ぬ方向に曲がっていた。

「膝が砕けたみたいね。もうお得意の駆けっこもオシマイってわけ」

 二弾、三弾目を放つ。吹き飛ばされて、タイガはアスファルトの上を転がった。

「うぐぁ〜っ! あぐぅぅぅっ!」

 耳朶を打つタイガの叫び。ゾルダ=北岡は仮面の下で顔を顰めると、聴覚センサーの感度をダウ
ンさせた。――彼女の悲鳴が、これ以上聞こえないように。

「いやなことはさ、後回しにしちゃダメ。それが人生の成功者になるコツって奴なのよ」

 言い終えて直後に、ふっ、と鼻で笑った。
 らしかなぬ台詞を口走ってしまったなと自嘲したのだ。
 そして、これからやろうとしている行為も、らしからぬものだった。彼にとっては、究極に。
 
 ――女を殺すこと。

 それは、己が美学の最大級の否定。そして、喪失。大切な何かの。

 だが……だが、やらなければ、俺は――!

 迷いを振り切るように、強く引鉄を絞った。第四弾、五弾が飛ぶ。回避どころか身動きすらまま
ならぬタイガは、まともに喰らった反動で校舎の壁へと叩きつけられた。崩れ落ちた瓦礫が、その
身を埋めてゆく。あたかも、埋葬するが如く。
 
「……終わりだ」努めて冷たい口調で宣言し、カードを召喚機に挿入する。

『ファイナル・ベント』 
 
 鋼鉄の塊が、床に開いた異空間よりせり上がる。彼の契約モンスター、マグナギガだ。その背に
あるアダプターへ愛銃を接続し終えると、ゾルダは大きな嘆息に続けて、こう呟いた。

「割と嫌いじゃなかったよ、お前のこと。磨けば、きっといい女になったはずだし。とても残念だ
けどさ……じゃあね」

 瞑目し、引鉄にかけた指に力を込めた。
 直後、轟音と地響きが周囲を支配した。

「何っ!」振り返ったゾルダが見たものは、突進してくる有角の巨体だった。
「ガゥオオオオ〜ッ」雄たけびとともに、さらに加速して迫る。体当たりを狙っているようだ。
「くっ」ファイナルベントを中断し、ゾルダは愛銃で迎撃の体勢に移る。

 遅かった。一発も撃ついとまさえ無かった。彼の体は弾き飛ばされ宙を舞い、屋上のフェンスを
越えて校舎の谷間へと落ちてゆく。

「うわぁぁぁぁぁ〜」
「ガォ、ガォォォォ〜ッ♪」

 絶叫と、そして嬉しげな咆哮が二重奏となって、ミラーワールドの夜空に響き渡った。

 ――さて、一方。
 九死に一生を得たタイガ=神楽はといえば。

「ぐ、ああ」かろうじて瓦礫から、うつ伏せの上半身を抜け出したところだった。
 受けたダメージは深刻である。体は鉛のように重く、少しでも動かそうとするたび、随所に激痛
が走った。右の脚に至っては、痛みを通り越して感覚すらない。

「あの野郎、どうしたってんだ?」と呟いた。
 この絶好のチャンスに、ファイナルベントを撃ってこない理由がわからなかった。
 まさか、情けをかけたというのか?
「ふっ、有り得ねぇ」己の思い付きを、声に出して否定した。あの計算高く冷酷な男に、そんな殊
勝なところがあるわけはない。そう決め付けて、再び瓦礫の山からの脱出に集中する。頼みの綱の
召喚機は、少し離れた所に転がっている。せめて、あそこまでたどり着かねば。

 そこへ――足音が聞こえてきた。
 一歩一歩踏みしめるような、重い歩みだった。まるで、こちらを威嚇するかのような。
「くっ、誰だ?」いま襲われては、ひとたまりも無い。あわててタイガは音と気配のする方角を見
やった。視界は痛みで霞んだが、それでも必死に目を凝らす。

 捉えた姿は、重厚な鎧を纏いし異形だった。シザース? ゾルダ? ……いや、違う。月光に照
らされたそのボディの基調は黒、アーマーは鈍い銀色。そして、左肩には毒々しいほど赤い角。

「ガ、ガイ」掠れる喉で、その名を口にした。
「こんばんわ、タイガ。ご機嫌いかが?」丁寧だが、裡に刃を隠したような声が返ってきた。

 よりによって、こいつかよ! 神楽は心中で、天を仰いだ。
 無論、ライダーにとってはミラーワールドに存在するのは敵ばかり。来たのが誰であっても危険
であることにかわりはない。だが、これまでの因縁に思いを馳せれば、やはり言わざるを得まい。
……よりによって、と。

「いいザマねぇ」こちらを見下ろしながら言った。「あの緑の奴、なかなかやるじゃない」
「緑? じゃあ、もしかして、お前ぇがゾルダを?」
「ふーん、ゾルダっていうの、あいつ。……悪いけど、ちょっと席を外してもらったわ。だって、
あんたの命は」おもむろにカードを抜くと、肩のホルダーへ投げ込んだ。「私が予約済みだもの」

『ストライク・ベント』

 右手に犀の頭部を模した得物が出現する。
 その威力のほどを、神楽は身をもって知っていた。いまの状況で喰らったら、間違いなくあの世
逝きだろう。痛みも忘れ、必死にもがいた。せめて、瓦礫から抜け出さなくては。デストバイザー
を手にしなければ。

「無駄よ、逃がさないわ」うつ伏せの背中を踏みつけてガイは言った。「そろそろ終わりにしたい
のよ、あんたとの腐れ縁を」
「うぐっ、ぐっ、ぐっ」あきらめずタイガはあがいた。いま死ぬわけにはいかない、絶対に。大切
な友人が、滝野智が、自分の助けを待っているのだ。「ぬぐぅ、ぐぅ、こん畜生ぉぉぉっ」
「……見苦しいわよ。観念なさい」
 だがガイは踏む足にさらに力を入れ、それを許さない。同時に、右手のメタルホーンを高々と振
り上げた。
「さようなら、嘘つきの虎娘さん。はぁぁぁぁぁっ!!」
「ぐううっ!」
 裂帛の気合とともに必殺の一撃が振り下ろされる気配を感じ取り、神楽は仮面の下の目をきつく
閉じた。
 だめか。智、ごめん、ごめんな……。
 脳裏にふと、滝野智の顔が浮かんだ。それは夕方、別れ際に見せた表情。
 ――飲み会、やるからさ。近いうちに。絶対、絶対来いよっ!
 そう言ってくれた時の笑顔だった。
 何かが砕ける音が轟いた。どうやら、全ては終わったようだ。
 最後にもう一度、神楽は心中で詫びた。
 とも……ごめん……な……

<八>
 
 浩子の意識が完全に喪失されたのと同時だった。――異変が生じ始めたのは。

 最初は、突風だった。
 一陣の大自然の息吹が、長年放置されていた室内の埃を巻きあげて通りすぎたのだ。

「なんだよ、ゴホッゴホッ」「痛ぇよぉ、なんか目に入った」「ぺっぺっ、口ん中ざらざらだ」
 男どもも陵辱どころではなく、咳き込んだり、涙を流したりしつつ文句をたれた。
「痛いー、目、目」「チョー、ムカつく」「チクショ、涙でマスカラ流れちまう」
 女たちも口々に悪態をつく。
 ひとり浩子のみ、すやすやと安らかに眠り続けていた。失神していたのと、明美らの陰になって
いたのが幸いしたのだ。

 次いで発生したのは――消失。

「お、おい。女がいねーぞ」「バーカ、ここに転がって……あれ」「いねぇ、マジでいねー」「マ
ジかよ、おい」

 そう。滝野智の姿が、忽然と消えていたのだ。
 
「ハァ? なにバカ言ってるんだよ、んなわきゃーねーだろっ」明美が苛立って叫んだ。
 彼女の言うとおり、起こり得ない出来事である。これだけの衆人環視の最中、一瞬のうちに、ひ
とひとりが消え失せるなど。

 ――その時。

「見えた〜」

 最上級に、緊迫感のない声が聞こえてきた。

「ああっ?」「誰だぁ?」「どこのどいつだ」「マヌケな声出しやがって」
 一同が声のした方角へと振り向けば……教室なかほどの机上に、いつの間にやら何者かが立って
いたではないか。
 小柄だ。声色からして、たぶん女であろう。全身は黒づくめで、室内の薄暗闇に溶け込んで詳細
が見えない。男のひとりがペンライトで照らし、やっと判明した。着ているのはローブだ。まるで、
ファンタジー・ゲームに出てくる魔法使いのような。フードが付いており、顔まではわからない。
 そして――その両腕には、意識を失ったままの滝野智が横抱きにかかえられていたのだ

「おっ、あのガキぃ、あんなトコに!」「誰だ、お前?」「俺たちの邪魔しようってのか、ああ」
「つーか、なんだよそのイカれた格好は。コスプレかぁ」
 不良たちは、殺気立って怒鳴った。
「見えた〜、あんたらの未来に。……避けられん破滅が」
 しかし、返ってきたのは先ほどの台詞の続きだった。この女、ひとの話を全く聞いていない。
 
「舐めてんのか、こらっ」「死なすぞ、ボケぇ」「生きて帰れると思うなよ」
「待ちなっ」ブチ切れて詰め寄ろうとする男たちを制して、明美が問いかけた。「お前……も、も
しかして、アユ?」
「その呼び方、止めてもらえるか〜? ……実は、嫌いやねん」

 謎の人物は、間接的に肯定した。――己の正体が、春日歩であると!

「お前、お前なぁ……」思考が停止してしまい、明美は口をパクパクさせている。
 無理もない。春日歩というキャラは、それほどこの状況には場違いな存在なのである。
「アユぅ?」「はぁ? アユだって」歩のことを知っている下っ端女ふたりも、呆けたような言葉
を漏らした。
 今、浩子が目覚めていたら、きっと同じようなリアクションをしたに違いない。
 いや、もっと過激なものか。――なにせ、待ちに待った援軍がこれである。「お前かいっ!」と、
突っ込みのひとつも入れなくては治まるまいに。
 
「お、お前、なにしに来たんだよ」ようやく脱力から立ち直った明美が問いかけた。
「見えた……」だが、またしても黒ローブの女は自分の言葉だけを続ける。
「ハァ? お前、いい加減に……」
「あんたらが、智ちゃんに、どんなひどいことをしようとしたか〜。そして、これまで罪もない人
たちに、いかにむごいことをしてきたか〜」
「な、お、お前っ」
「なんでや……なんで、そんなことするのーん、明美ちゃん?」 
「な、なんでって」

「ゴルァッ!」ここで、怒声とともに響いた鈍い音が、二人の会話を中断した。
 不良のひとりが、春日歩を背後から思い切り蹴り飛ばしたのだ。
 あ〜っ、と小さく呻いて、黒ローブの娘は腕の中の滝野智ごと床へ転がり落ちていった。

「タラタラくっちゃべってんじゃねぇよ、明美っ」「こいつも若ぇ女なんだろ、だったらやるこたー
変わらねーっての」「うひょー、エサが増えてラッキー」「バカじゃねーの、女ひとり、のこのこ
やって来やがって」「わざわざハメられに来るなんてよぉ、ひひひひひ」
 男たちがふたりに殺到する。口々に下劣な言葉を発しながら。

「ふん、まったくだよ、アユ。お前、マジでバカじゃん、バーカ」
 明美も気を取り直して罵った。先刻いったんは歩のペースに巻き込まれた苛立ちから、さらに口
汚い台詞を続ける。
「なんでそんなことするってか? きゃはははは。楽しいからにきまってるじゃん。酷いことだっ
て? どこがだよ? お前らみてぇにトロくせぇ奴がのうのうと生きていけること自体がおかしい
んだよ。動物の世界だったら、そんなのはとっくに食われて死んでる、だろ? なんつったけ、そ
う、『弱肉強食』さ。弱ぇ奴は、あたしらみてぇに強いもんのエサやオモチャ、これは当ったり前の
常識なんだよっ、きゃははははははは」
「そ、常識、ジョーシキ♪」「おい、この黒いの、意外と上玉だぜ」「マジマジっ」「俺、そっちを先に
ハメてー」「とりあえず、生意気なそのお口でご奉仕させるかぁ?」「ひひひ、今夜はツいてるぜー」
 明美の演説に煽られるように、男たちもヒートアップしていく。

 彼らは文字通りのケダモノなのだろうか?
 いや、違う。所詮は文明に毒された『人間』という生き物の成れの果てに過ぎない。
 その証に、野獣ならば決して失ってはいけないものを欠いていた。
 
 ――彼我の強弱を瞬時に悟る第六感を。

「この、ひとでなし……」「え?」
 明美はわが耳を疑った。春日歩の囁きが、耳奥に直接響くように聞こえてきたからだ。
 有り得ない。本人は今、目の前で揉みくちゃにされている。それに辺りは興奮した野郎どものけ
たたましい声に満たされていて、囁き声など届くはずもない。

「ひとでなしちゅーんは……ひとでないちゅーことや」「はぁ?」
 再度聞こえてきた。思わず、そのまんまじゃん、と突っ込みたくなる内容だったが。

「ほんならやぁ……わたしもつかわせてもらう」
 背筋に冷たいものが感じられ始めた。
 無性に、全力疾走でこの場から逃げ出さなければならないような気がしてきた。
 ――しかし、遅かった。全てが、あまりにも。

「ひとでない……ちからを!!」

 歩の言葉が終わるやいなや、室内を支配する声は悲鳴のみに変わった。
「うぷっ」「げはっ」「わわっ」「ひぃぃ」「やぁぁ」
 突如、先ほどを遥かに凌駕する強風が巻き起こったのだ。人間すら吹き飛ばすほどの。
 誇張抜きで木の葉の如く不良たちは宙に舞い、壁や床に叩きつけられてゆく。

「あぎぃっ、ぐ、ぐ」明美も背中から床に落ち、激痛にのたうった。「うぐぐ……え、あれは?」
 何かいる! 
 涙で掠れる目が捉えた。
 黒い大きな翼を持つ、得体の知れない生き物を。
 人間に、根源的な恐怖を喚起させる存在を。
「あ、ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃぃっっっ」
 誰かが壊れた楽器のような絶叫をあげている。何度も、何度も。
 明美はもはや気づかない。――それが自分の口から出ていることに。
 
「ほな明美ちゃん、始めよか〜」
 またしても春日歩の声が聞こえてきた。今度は、文字通り耳元から。
「あんたの大好きな、じゃくにくきょおしょくを」
 短い舌が、ちろりと首筋を舐めてきた。

<九>

 …………
 ……
 …
 神楽は体がふっ、と軽くなるのを感じた。

 そうか、死んだから魂だけになったのか。つーことは、これから天国か地獄へ行くわけだ。へへ
へ、どっちかな。ライダーは殺してないけど、モンスターは何匹かやっちまってるからな。微妙な
線だぞ、こりゃ。

「こらっ」
 あれ、誰かの声がした。女だ。あ、天使って奴か? じゃあ、天国行き決定? イエーイ♪

「なーにが、イエーイよ! 寝ぼけてんじゃないっ!」

 叱咤と同時に、脇腹に痛みが走った。軽く蹴られたようだ。そのショックで、タイガ=神楽の意
識は現実へと戻る。
 回復した視界に最初に飛び込んできたのは、仰向けに転がされた自分を見下ろしているガイの姿
だった。――これが天使としたら、そんな天国は誰も行きたがるまい。

「あ、あれ?」あわてて半身を起こし、体のあちこちに触れてみる。返ってきた痛みが、命がまだ
有ることを証明してくれた。「生きてる、なんで?」
 今度は辺りを見回してみた。覆いかぶさっていた瓦礫は吹き飛ばされて跡形も無い。体が軽くな
ったわけは、これだったのだ。……では、いったい誰が?
「ガ、ガイ。これは、お前ぇが?」ひとりしかいない該当者に、恐る恐る問いかけてみた。「なん
で?」
「行きなさい」返ってきたのは回答ではなく、命令だった。
「さっきの一撃は、私じゃなくて瓦礫を? なんで?」神楽は質問を繰り返した。ききわけの無い
子供のように。
「うるさいっ! とっとと消えろ、私の気が変わらないうちにっ!」

 ガイは苛立った声で叫び、しばし沈黙の後、呟くように付け加えた。

「……この前の戦いでさ、危ないところをあんたに助けられたみたいな感じになってたからね。そ
の借りを返しておくだけよ」
「ガイ……」 
「早く行きなさいっ! ライドシューターの使い方ぐらい知ってるんでしょ」
「あっ」そう言われてタイガ=神楽は、はたと手を打った。そうだ、あれなら脚がまだ回復してい
なくても動き回れる、智を探すことができる。

 脳内にイメージを浮かべると、たちまち軽やかな音をたててマシンがやってきた。
 開いたコックピットに這い上がるようにして乗り込むと、タイガはガイの方へ顔を向け、しみじ
みとした口調で礼を述べた。

「……ありがとう。あんたはやっぱり、いい人だ」
「はぁっ!? か、借りを返すだけって言ったでしょ、勘違いしてんじゃないわよっ、こらっ」

 怒鳴るガイに応えることなく、ライドシューターは加速して走り去っていった。



 そして――同時刻。

 場面は変わって、現実世界のマグネトロンバーガー・明林大学前店。

 婦人用トイレの手洗い場に、ひとりの女性の姿があった。
 垂れ気味の大きな目、柔らかくウエーブがかかったロングヘア。なかなかの美人である。……そ
のまま、黙ってさえいれば。

「ふあ〜ぁ。いつまれ待たせんのら〜」

 彼女、すなわち、谷崎ゆかりは流しの上の鏡に向かって、そう悪態をついた。
 呂律が廻っていない。真っ赤な顔といい、かなり酔っ払っていることに間違いはないようだ。
 さらに何事か叫ぼうとして、うぷっ、とむせた。あわてて個室に転がり込むや、盛大に嘔吐を始
める。……嗚呼、哀しや。美人台無しとは、まさにこのことだ。
 
 この時、鏡が強く輝いた。
 白い光の中から、男子禁制の忌み処には相応しからぬ無骨な巨体が躍り出る。黒を基調とした体
に銀の甲冑をまとい、左肩には赤い大角。――仮面ライダー・ガイだ。
 だがすぐにその姿は、何かが割れるような音とともに、たおやかな女性へと変わった。こちらも
谷崎に劣らず整った顔立ち。「ふぅぅ」と、発した吐息も艶かしい。
 
 ふらふらと個室から出てきた谷崎が、その女に声をかけた。
「こるぁ〜、遅いろ〜。にゃもはほんろに、昔っから、トイレがにゃがいんらよ〜」
「バカッ」にゃも、こと黒沢みなもは頬を赤らめて叫んだ。「トイレ行ってたんじゃないっての」
「オゥ、イエ〜ス、アイノウ。MirrorWorld デ RiderBattle ネ。オーケー、オーケー」
「バ、バカッ、なんことを」あわてて黒沢は、謎の外国人と化した相棒の口を両手で塞いだ。「表
に聞こえちゃうじゃないの……まったく!」
 
 体育教師は、思わず天井を仰いだ。
 なんて不運な夜なのだろうか。
 たまには違うところで飲もうと、雑誌で見つけた話題のスポットにはるばるやってきたのが間違
いの始まりだったのか。
 まったく……混んでるわ、サービスは悪いわ、料理は不味いわ、ゆかりは悪酔いして暴れるわ…
…さらに、酔い覚ましに入ったこの店では……あいつを、タイガを助けるはめになるわ。
 いつの様に近場で飲んでいたら、さすがにこんな遠い街でのバトルまで感知できなかったはず。
そしたら、あいつは今ごろゾルダとやらに殺されてお終いになっていたのに。
 呟きがひとつ口から漏れた。――腐れ縁、と。

 突如その身を突き放されて、黒沢は現実に戻った。谷崎が真っ青な顔で個室へ駆けこんでゆく。
再び『発作』が来たらしい。
 派手な嘔吐の音を耳にしながら、黒沢は心底疲れきった表情で大きな溜息をついた。
「はぁぁ……こっちの腐れ縁も、なんとかならないものかしらね」

<十>

 ――明林大学工学部・廃棟。

 今宵、幾多の物語が上演されたこの場所に、今、最後の一幕があがろうとしていた。

「ぐうっ、ううっ……間違いねぇ、この先だ。智、ともぉ……」

 苦しげな呻き声の主は、右足を引きずりながらも必死で走る女。
 無論、神楽である。

 ガイと別れた後――。
 ものの数分もたたない内に、ライドシューターは勝手にミラーワールドを飛び出してしまった。
コンソールに赤い警告ランプを灯しながら。
 ライダーが鏡の中に滞在できる時間は、わずか十分程。そのタイムリミットが来たからだ。

 だが、彼女の熱い想いがようやく天に通じたのか、幸運にも出た先はこの校舎であった。
 変身が解けてもデッキ所有者は、わずかだが契約モンスターから力の供給を受け続けている。そ
の常人離れした五感――この場合、嗅覚――が、旧友の匂いを捉えたというわけだ。

「智、待ってろよ。今行くからなっ、必ず助けるからなっ」
 神楽は走る、走る。全速力には程遠いが。
 ゾルダに砕かれた右膝は、ライダーの超回復力をもってしても未だ、どうにか骨がくっついた程
度にすぎない。
 それでも、意識が遠のくほどの痛みを耐えて、ひたすら走った。

 廊下の角を曲がった直後、その脚が急に止まった。進行方向にいる何者かを察知したのだ。
 黒いローブ姿が、なんとも怪しい。左右にはひとりづつ、肩を貸す形で下着姿の女を支えながら、
ふらふらと近寄ってくる。怪しすぎだ。

 すわ、敵か? あるいは変質者か? 油断なく身構えながら誰何(すいか)する。「誰だっ!?」
 だけど返ってきたのは、気抜けするほど平和な声。「お、重い〜、もう限界や〜」
 しかも聞き覚えがある。ものは試しで、該当者の名を呼んでみた。
「お、大阪か?」
「か、神楽ちゃん?」
「おいおい。やっぱりお前かよ。なんでこんな所に、そんなヘンテコな格好で……ああっ!」

 神楽は思わず叫んでしまった。歩が支えている女性たちの顔を認めて。
 どちらも気を失っているようだ。一方は見知らぬ娘、だが、いまひとりは――。

「と、智か? 智ぉぉぉぉぉっ」大声で呼びかけつつ、その華奢な体を抱き取った。
 暖かい。――生きている!
 呼吸も穏やかだ。――生きている!
 伝わってくる鼓動も力強い。――生きている!
「……よかった、生きてる、生きてやがるっ! うぉぉぉぉっ」
 まずこみ上げてきたものは、歓喜。
 なにはともあれ、彼女に命が残っていたことが嬉しかった。MATRIX部員たちの、あまりに
もあっけない死に様を知っているからこそ、いっそうに。

 だが感情のベクトルは、すぐにその方向を憤怒へと変えた。
「大阪っっ」喉の奥から搾り出すような声で問い詰めた。「いったい何があったんだ? どこのど
いつが、智をこんな目に遭わせたんだっ!?」

 実際、酷いありさまだった。もしや、『女』として最悪の事態に至ってしまったのでは!? そんな不
吉な予感すら浮かんでしまうほどに。
 かろうじて下着こそ残ってはいるが、ほとんど裸の体は擦り傷だらけ。左頬と腹には、赤黒く腫
れた強打の痕跡まであったのだから。

「わからへん」黒ローブの娘は、悲しげに首を振るだけだった。「わたしが来たときには、智ちゃ
んらがこの格好で床に倒れとっただけで、他には誰も」
「ちいいっ」しばし頭を乱暴に掻き毟った後、神楽は再び尋ねた。「どこだっ、倒れてた場所は」
「そ、その先曲がってすぐの教室やけど〜?」
「よし、ちょっと見てくる! 何かわかるかも知れねぇ」智の体を再び歩に預ける。「悪いが、智
のこと頼むぜっ」
「そやかて、行っても誰もおらへんで。それより、早く智ちゃんらを病院へ、あっ、待ち……」

 制止を聞き流し、神楽は再び不自由な脚で走り出していた。
 憎むべき仇への、そしてそれ以上に不甲斐ない自分に対しての激しい怒りに駆り立てられて。

 あきれた様子で見送りながら、春日歩が呟く。
「あ〜、行ってもうた。もうおらへんちゅーとるのに」
 さらに、言い足した。いっさいの表情をその顔から消して。
「……この世にはな」

「ここかっ!」
 ひと声叫ぶと、神楽は教室のドアを壊さんばかりの勢いで開け、中へと押し入った。
 さっそく辺りを調べようとしたが――。

「くふっ、げほっ、げほっ、なんだ、げほっ」
 不可能だった。漂っていた大量の埃で、たちまち激しく咳こむはめになってしまったからだ。
「ごほ、ごほっ、ちょっと乱暴にドア開けすぎたか? いや、そんなレベルの話じゃねーぞ、この
凄さは、痛てて、目にも入っちまった、くそっ」

 目を擦りながら改めて周囲を窺う。静まり返った室内には、人の気配は全くない。ガラスがほと
んど割れた窓からは弱々しく月の光が差し込んでおり、埃の粒子をあたかも濃霧のように浮かび上
がらせていた。

「げほげほっ、酷ぇなこりゃ。なんてゆうか、久しぶりの大掃除でもやらかした直後みたいな、げほっ
……んん!」

 ――キィィン キィィン 

 そこへ……異界への扉が開いたことを知らせる、例の合図が鳴った。
「ちぃぃっ!」と舌打ちしつつ、音の方角へと振り向く。
 かろうじて窓枠に残っていたガラスの一片。その中に蠢く影は、金色の甲冑を纏いし異形!
 遠いはずのその場所から、あたかも目の前にいるかの如く、そやつの声が聞こえてきた。

「……ふん、やっとお出ましですか。待ち焦がれましたよ」
「またお前ぇかよ。ったく、しつこい野郎だぜ」
「覚えておいたほうがいい……男という生き物は、女にかかされた恥は決して忘れない、いや、忘
れられないものなのですよ。さっきあなたが言った台詞、そのままお返ししますよ……思い知らせ
てやるっ!!」

 言葉の最後は、この男らしからぬ激情が露になっていた。怒り心頭に達している証拠であろう。
 対する神楽はいささかも怯みまず、不敵に言ってのけた。

「けっ、面白ぇ。受けてたつぜっ……あ、あれぇ?」

 しかし――! 
 突如、目前の景色がぐるりと回る。必死に踏みこたえようとしたが果たせず、床へと倒れこんで
しまった。酷使を続けてきた肉体が、ついに限界を迎えたのだ。

「ちくしょう、こんなとこでガス欠かっ。ううぷ、げほっ、げほっ」降り積もった砂や埃に塗れながら
も、神楽は己がデッキを取り出した。「まだだっ、まだやれるっ」
「ふふふ、だいぶお疲れのようですね。ですが、休んでいる間はありませんよっ」
 シザース=須藤の言葉が終わると同時に、入り口のドアが吹き飛んだ。
「ヴァ〜ッ! ヴァァァァッ!!」
 ボルキャンサーだ。狂ったように叫び声をあげ、巨大な鋏を苛立たしげに振り回している。こや
つも契約主同様、復讐に燃えているようだ。

「くっ!」こちらもアドベントで対抗せんとデッキを指で探る。
 だが、その動作はあまりに緩慢だった。先んじてボルキャンサーの鋏が一閃し、青いケースを跳
ね飛ばしてしまう。
「させませんよ、召喚も、変身すらも。生身のままで、無様に死ぬがいい。我がモンスターの餌食
となって!」
「ヴァァァァッ!!」
「くそぉぉぉぉっっっ!」

 勝ち誇る須藤。猛る巨蟹。無念の神楽。
 三者三様の激情が叫び声となって交差した直後、全く異種の音声が聞こえてきた。感情の一切欠
如した、機械の呟きが。

『ストライク・ベント』

「な、なんだっ?」
「ヴォォ?」
「おのれ、別のライダーかっ!? どこだっ……う、うわぁぁぁぁ!」

 埃塗れの娘とボルキャンサーが困惑しているところへ、ミラーワールドよりシザース=須藤の悲
鳴が轟いた。――中でいったい何が起こったというのか?
 さらに、彼の苦しげな声が続く。焦げ臭い匂いとともに。
「ば、馬鹿な、ストライクベントが火炎弾だと!? うう、直撃は避けたがこのダメージでは……」
 最後に聞こえたのは、彼の捨て台詞と逃げ去る足音だった。
「ふん、悪運の強いひとですね。だが、次は必ず殺すっ!」
「ヴァァァァ〜ン」巨蟹も悔しそうにひと声鳴くと、姿を消した。

 ひとり残された神楽は、ふらふらと立ち上がった。
「か、火炎のストライクベントだと? まさか、まさか……あううっ」
 一歩踏み出した足が砂埃に滑り、再び倒れこんでしまう。
 ところが――!
 その身を受け止めたのは、硬く冷たい床ではなかった。
 ふんわりと柔らかく、暖かく、いい匂いまでする。
「まさか……」神楽は、自分を抱き支えている人物の顔を見上げた。黒髪の下、空ろな瞳がこちら
を見つめている。「さ、榊か」
 
 途端に、神楽は激しい睡魔に襲われた。
 張り詰めていたものが、ぷつりと切れたからだ。旧友で、ライバルで、今は同じ屋根の下で暮ら
す同居人。そんな榊の来訪がもたらした、深い安堵ゆえに。

 ……助けに来てくれたんだ、私のピンチに……嬉しい、嬉しいぜ。やっぱり榊は……榊なんだ。
ライダー同士であっても、記憶がなくっても……あの優しい榊なんだ。嬉しいな……でも、どうせ
なら、もっと早く来てくれよ……今夜はマジでヤバかったんだぜ、へへへ……榊……榊ぃ……
 
 希薄になってゆく意識の中で、様々な想いがぐるぐる回る。
 やがて、神楽は深い眠りへと落ちていった。長身の娘の腕の中で、母に抱かれる幼子のように
安らかに。

 そこへ――ぱたぱたと足音をたてて、誰かが小走りにやってきた。
「神楽ちゃん、どないした〜ん?」春日歩である。戻ってくるのが遅いので、心配になって見に来
たのだろう。「神楽ちゃん……あっ!」

 室内を覗き込んで、黒いローブの少女は小さく叫んだ。
 彼女もまた、榊とは旧知の仲。高校時代、最も仲良しだった六人組のひとり。
 声を上げたのは、意外な再会の感激ゆえ? この後続くのは、涙ながらの歓声?

 ――さにあらず。

 歩の口から出たのは、全く異種の言葉だった。
 その顔に彼女らしからぬ緊張の色を浮かべ、黒い大きな瞳で真っ直ぐに見つめながら、こう言っ
たのだ。

「あんた、誰や? 私のよう知っとるひとにそっくりやけど…………違う」

『仮面ライダー 神楽』 十四話

「ふふ、あなたが平気でひとを殺せる女だと知ったら、どんな顔をするでしょうねぇ?」
(……このひとなら、信じてくれる。言っちゃおう、ほんとのことを)
「入ってすぐ…ファイナルベント。…それで…勝てたのに。きっと…お前は後悔する」
「見ちゃったんだ。お、大阪が化け物にあいつらを……」「ハァっ!???」

 戦わなければ、生き残れない!

【仮面ライダー 神楽】
【第十四話】

【Back】

【仮面ライダー 神楽に戻る】

【あずまんが大王×仮面ライダー龍騎に戻る】

【鷹の保管所に戻る】
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