それぞれの冬 ――13 Fighters――
【それぞれの冬】
【第14回  雪と銃】

 子供の頃、家族で海に行ったときに浜辺で見つけたきれいな石。
 突然、それを捨てろと大きな男に命令された。 
 理由を問うてみた。
 理由などない、捨てろ。
 そう答えると、男は毛むくじゃらの太い腕を伸ばし、あくまで石を離すまい
とする彼女に迫った。はるか上から見下ろす血走った瞳、堂々たる体躯から伸
ばされる腕。彼の存在そのものから、彼女を脅かす圧迫感がにじみ出ていた。
 
 最近は、この石のことなど気にとめることもなかった。そこにあるのがあた
りまえという感じで、長らく手にとって眺めることもなかった。
 しかし、手放したくはないのだった。
 本当は、このような恐ろしい男に逆らってまで持ち続けるほどの価値のある
ものでもないのかもしれない。――いや、ただの石よりも自分の安全の方がは
るかに大切であろう。
 しかし、手放したくはないのだった。

 彼女は、石を両手で握りしめながら逃げた。
 男は追ってこなかった。
 ほっとしながら掌のなかを確かめると、石はそこにはなかった。   

 布団を押しのけ、はねおきる。
「――またか」
 彼女は、うんざりした面持ちで目をこすると、枕もとにおいてある眼鏡をか
けて布団を這い出した。寝乱れた栗色の長い髪を、手ぐしでとかす。
 これで、17度目――いや、18度目か。
 彼女は、同じ夢を見た回数を数えた。もっとも、先月の中旬頃から何度も何
度も繰り返し見せられている夢なので、もはや正確な回数など覚えてはいない。
 とりあえず不愉快な夢であることだけは確かだ。

「温泉入ってこよ」
 ことさらに気分を変えようとするかのようにそう言って、彼女はタオルを肩
にかけ、部屋から出た。
 水原暦は、現在、北海道に旅行中である。
 冬休みを利用した一人旅。
 最近娘の顔色が暗いと心配した両親は、気分転換のため、彼女に旅行を勧め
てみたのである。その言葉に甘え、彼女は、少しの小遣いを貰って北海道に向
けて旅立ったのだった。
 初めての飛行機、初めての雪国。
 それらは、彼女の憂鬱な心に少女らしい浮かれ気分をもたらした。
 だが、ひとたび布団に入ればまたあの不快な夢が彼女を脅かす。
 夢に蝕まれた心を少しでも癒そうと、彼女は旅館の一角から湧き出る温泉に
朝一番で入ろうと試みたのである。

 露天風呂には誰もいなかった。
 冷えた空気に立ちのぼる湯気が、朝日に照らされて白く光っている。
 つま先を少し湯の中に入れて温度を確かめた後、静かに身を沈めた。
 肌にしみこむ熱い湯の感触が、起きぬけの体に心地よい。
 彼女は、心が高揚していくのを感じた。

 周りに誰もいないのを確認してから、彼女は、片腕を泉の縁にかけて岩肌に
背をもたせかけると、おもむろに歌いはじめた。
 その歌声は、お世辞にも耳に心地よいものといえるものではなかった。
 音程は規定のものを軽く三音はずれ、声のはじき出されるリズムは不定。突
如曲調がはやくなったり遅くなったり、音が高くなったり低くなったり裏返っ
たり、あたかもいわゆる『前衛音楽』を肉声で奏でているかのごとき歌声である。
 もっとも、今この露天風呂に浸かっているのは彼女ひとりであって、周囲に
余人のあるわけでもないので、この歌声によって他人の心証を害するおそれは
ない。また、近くでぬかみそを漬けていたとしても、数日でこの地を去る彼女
にとってはそれが腐ろうとどうなろうと知ったことではない。
 そんなわけで、温泉の湯煙の中、熱いお湯にのぼせて赤い顔の水原は、憚る
ことなく歌唱を愉しんだのである。

 彼女の耳に何かが届いた。
 自分の歌声ではない。何か他の音である。
 それも、相当の耳障りな音だ。
 彼女の歌声も他人にとっては相当に耳障りなものであることは確かであるが、
『河豚は自分の毒で死なない』のたとえどおり、彼女自身の歌声に対して、歌っ
ている彼女自身が不快感を味わうことはない。
 それはさておき、彼女の耳に自分の歌声とは別の【音】が聞こえてきたのである。

 鼓膜を震わす、ガラスをひき掻くような鋭い音。
 彼女は、歌うのをやめ、音源を目で追った。
 この音が聞こえるとき、決まって、奴が現れる。
 黒のオーバーコートに身を包み、顔面にたれさがった長い黒髪の隙間から肉
食動物のごとき鋭い目を覗かせる、神出鬼没の不可解な男――吾妻士郎。

 果たして、例に漏れず、彼は水原の前に姿を現したのである。
 屋内浴場と露天風呂とをつなぐ扉の前の石畳に、黒い革靴。
 メガネは脱衣場に置いてきているので、はっきりとその姿を確かめることは
できないが、白い湯気の間にぼんやりと垣間見える黒い人影は、まぎれもなく
彼自身のものだ。
「なんだ、この耳障りな唸り声は――」
 口元に薄笑いを浮かべつつ、士郎は言った。
「なっ、なんなんだよあんた!」
 歌っていることを聞かれた恥ずかしさと、さらにその歌を『耳障り』と形容
された憤りとで、彼女は、のぼせた顔をますます赤くして怒鳴った。大体、女
性客用の浴場に男が入り込むこと自体、間違っている。いや、そもそも、何故
この男が、【主戦場】から遠く離れた北海道の地にまでついてきているのか。

「まあ、細かいことは気にするな」
 水原が心の中に持っているであろう数々の疑問に対して、士郎は淡白な回答
を示した。【生贄】が、【儀式】に関して細かいことを知る必要はない。

「現実逃避か?」
 低い声が、湯気にふやけた水原の耳に届いた。
「残された時間は、わずかだ。わかっているな?」
 士郎の声が、彼女に追い打ちをかける。
 このところ連日で見せられる不快な夢の原因も、彼女にはうすうすわかっていた。
 それを打開する方法は、他ならぬこの吾妻士郎によって彼女に示されている。
 すなわち、ライダーバトルを勝ち抜き、精神の不穏をもたらす原因を打破す
ること。それができれば、かのおぞましい夢を見ることは二度とないであろう
ことは、彼女も十分認識していた。

 ただ、彼女には、覚悟がなかった。
 ライダーを倒すということは、人間を鏡の世界に葬り去るということ。
 谷崎ゆかりがある日忽然と消え、黒澤みなもがある日突然行方不明になった
理由を、彼女は知っている。ライダーバトルに敗れ、鏡の世界で最期を迎えた
からだ。谷崎がいなくなってから、水原の所属するクラスの担任は別の教員が
勤めている。かつて黒澤が担当していた体育の授業についても、同様である。
以来、クラスに流れる雰囲気のようなものがまるで違ってしまった気がする。
 それが、ライダーと戦うということである。
 社会におけるある人間の存在を消滅させてしまうということである。
 かかる人間の存在を奪われた社会は、彼の担っていた役割を代替する人材を
その地位におくことを余儀なくされる。
 とはいえ、役割を代替する人材が新たに設置されたとしても、そのことによっ
ては、消滅した人間が果たしていた社会に対する役割は回復しない。いなくなっ
た人間を代替するべく設置された人材は、いなくなった人間の人材としての価値
――すなわち『道具的な価値』を果たすことはできても、いなくなった人間の
『人間としての価値』を替って果たすことはできないのである。

 自分にも、叶えたい夢がある。譲れない思いがある。
 しかし、そのこと一事をもって、社会における人間の存在を消し去り、もって
その人間のもつ『人間としての価値』を社会から抹消せしめることを正当化する
ことが果たして可能なのか。
 それが、彼女が【ライダーバトル】に加わることをためらう一つの理由であった。

「自分に正直になれ」
 士郎の声が、水原の耳に響いた。
「人間は、もっと自分の欲望にわがままになっていいんだ。自らの欲望を果た
すのに、他者への配慮など必要ない。人間は、これまでずっとそうやって歴史
を紡いできたのだ。ライダーだけが特別わがままというわけじゃない」
「……」
 士郎の言葉に反論する術を彼女はもたなかった。     

 泉の中で縮こまる水原を尻目に、士郎は言葉を続けた。
「戦う意思のない者は、死んでいく――それが、ライダーバトルの掟だ。
 ……俺は、そうやって死んでいった奴らを何人も見てきた」
 朝日を弾くガラス戸に、士郎の横顔が映っている。
 最後までライダーとなって戦うことを拒み続けた末、モンスターの餌食となっ
た者たち。彼らが、命を失ってまで守ろうとしたものは一体なんであったのか。
夢? 誇り? 人間としての生活?
 士郎には、【ライダー】として選ばれながら戦うことを拒む者たちの心が理
解できなかった。彼らには、望みがある。その望みを叶える方法があると自分
は言っている。その方法に従って努力し、成功すれば望みは叶うと自分は保証
している。それなのに、何故、戦うことを拒むのか。
 あの少女もそうだ。自分の不注意のせいで不随の体になってしまった友人の
快復を祈りながら、何故か自分の力でそれを果たそうとはしなかった。泣きな
がら緋色のデッキを床に払い落とした彼女の幼い表情を、彼は克明に憶えている。

「――そういうわけで、お前も、例外ではない。
 髪が乾くまでに、決めろ。戦うか、死ぬか――」
 そう言って、彼は姿を消した。
 
 浴場から脱衣場に戻る。
 温泉にふやけた身体をバスタオルで申し訳程度に拭うと、浴衣を身に着けて
大鏡の前に向かった。腰まで届く彼女の長い髪は、ドライヤーを用いて乾かさ
なければ、なかなか乾くものではない。
 洗面台の脇にとりつけてあるドライヤーを手にとり、スイッチを入れる。
 柔らかな温風が、その先端から流れ出た。
 変なくせがつかぬよう気をつけながら、栗色の髪を手指で撫でつけつつ乾かす。

 暫く、そうしていた。
 髪が乾く頃になった。
 浴場で耳にしたあの音が、再び彼女の耳を打つ――
 目の前に、赤い大口。
「!」
 身を翻し、食いつこうとする怪物から逃れた。
 やりすごされた怪物が、勢いあまって鏡から全身を乗り出す。
 切れ長の眼に鋭い牙。楕円形の頭に細い腕。太い尻尾に短い脚。
 巨大なとかげを人形糸で吊るして直立させたような外形のその獣は、らんら
んと光る瞳を水原に向け、真っ赤な口から白い息を荒く吐き出した。
 水原は、後ずさりながらロッカーに近づいた。
 着替えや財布と一緒に、紫色に輝くカードデッキが収められている。
 手にとった。鏡にかざした。腰にがしゃりと重いものが巻きつく感触。

「変身!」
 叫びと同時に、紫色の風が彼女を包んだ。
 視界の晴れた後、鏡に見えた自分の姿は、全身を紫の鎧に覆われた戦士。
 肩から胸にかけて広がる分厚いプレートには数本の銀の横縞が描かれ、
手に持つ銃の根元にはカードリーダーが備えつけられている。
 仮面ライダー・フェイ。それが、かの戦士の名だった。

 だらしなく開かれた赤い口に向かい、銃の引き金を引く。
 脱衣場に轟音が響き、獣の体から煙があがった。
 餌の思わぬ反抗に驚いた獣は、文字通り尻尾を巻いて鏡の中へ逃げ込む。
 フェイもそのあとを追った。
 鏡の中にも、脱衣場があった。
 ただし、全てが反転している。
 ロッカーの影に逃げ込む敵に向かい、銃を乱射した。
 たちまちのうちに脱衣場は備品の破片が散らばり、壁は穴だらけになる。
 短い脚のわりに、逃げ足は速い。フェイは標的を見失ってしまった。
 
「どこだ……」
 見回すフェイの頭上に、天井から降るぬめぬめした身体。
「げっ!」
 反射的に振り払った。
 宙に飛ばされたトカゲが、紫の鎧に向けて尻尾を飛ばす。
 太い肉の一撃に顔面を殴打されたフェイは、床に転がった。
 すかさず急所を狙う研ぎ澄まされた爪。

 膝で起き上がった。
 銃で爪の一撃を受け止めた。
 銃口が火を噴く。
 魔物の腕が消し飛んだ。
 魔物は再び逃げる。追った。
 露天風呂から、旅館の外へと這い出す。
 そこは一面の雪景色。
 遅れた。
 怪物の背中を見失った。
 いまいましげに舌打ちした後、腰のデッキから一枚のカードを抜き取る。
『Chase』 
 カードを通した銃身から、機械音があがる。
 撃った。

 はるか遠くで、何かが倒れる音が聞こえた。
 音のした方へ走る。その足は魔物の足跡をたどっていた。 
 遠くに、白い雪を緑色の血液で汚しながらのたうちまわる魔物の姿が見えた。
『ファイナルヴェント』
 目視直後、一文字を切る必殺のカード。
 風が起こり、粉雪が舞い上がる中、雪原に巨大な紫色の蛙が現れた。
 蛙の口の中から、無数の弾頭が覗く。
 目指す方向には、かの巨大トカゲ。
 蛙の口が火を噴いた。
 地を揺るがす轟音、空を騒がす無数の弾丸。
 あたり一面の地肌があらわになり、魔物は全身を撃ち抜かれたうえ炎上した。

【次回予告】

「どうだったかね、冬休みは」

「お前だけは許さない!」

「榊!!」

戦わなければ生き残れない

【それぞれの冬】
【第15回  No Date】

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